「あなたの代わりはいる」
こんにちは。オールA塾の大谷です。
新学期が始まり、生徒さんたちも新しい生活の中で必死に食らいついていこうとしています。
どうかお体には気をつけてほしいと願っています。
私が、オールA塾を始める前にいろいろなところで働いていたころ、とてもたくさんの人と出会いました。
現在でもいい意味で参考にさせていただいている先輩の方もたくさんいらっしゃいます。
そういう人たちの共通点は、「君の代わりなんていくらでもいるんだよ」といったことを決して言わない ということでした。
そういった先輩方は、働く人たちにとっての居場所や職場での役割をとても大事にされていたと思っています。
確かに、どんな仕事であっても、厳密な意味で「その人にしかできない」ことというのはないように見えます。
塾で言えば、ある先生がやめられたとき、そのあいた穴に誰かを入れれば、一見すると穴が埋まったように思えます。
ですが、会社でも学校でも人が集まってなにかをなす場所、つまり、社会、では、人が相互にかかわりあうことによってそれが成り立っています。
自然の世界が、連鎖しているように、人間の社会もまた、見えない部分でお互いに影響をしあっています。
なにかが抜けることでプラスになることもありますが、マイナスに働くこともあります。
「代わりはいくらでもいる、文句があるならやめてもらって結構。」
このような時代においてもまだ、そんな風にふんぞりかえっている経営者、管理者が、残念ながらまだ存在していると聞きます。
いま社会全体でAIとどう向き合っていくのかということが課題になっていますが、残念ながらそのように発言する人の多くが、自分のやっている仕事が、AIに代わられる可能性がある仕事だと認めているのだろうと思います。
たしかにAIであれば、不満をいうことも、感情的になることもないでしょう。また、間違いを犯すこともありません。
かつて19世紀にそうであったように、社会自体を大きな機械とみなし、人をその歯車やネジとして見なす見方があるからこそ、そうした発言が出てくるのだろうと思います。
人と人が、人になにかする仕事において、「代わりはいくらでもいる」という言葉は、自分たちの存在意義を否定する言葉となりえます。そして、そうした発言をする人たちは、自分こそが一番「代わりのいる管理者」であることを自覚できていない人です。人が社会を作っているということを認識できない、人には時として厄介なものともなりえる感情があり、お互いにかかわりあいながら社会を作っているということがわからない人。人の心を大事にする社会を認めない人。
ただ単に、機械的に管理を行うのであれば、それはAIにもできることであり、AIのほうが優れています。
私は、オールA塾を運営していくにあたってどんな人であっても、「代わりがいる」人はいないと思っています。
自分の子どもを腕に抱きながら「お前の代わりはいる」といえる人はいないはずです。
命は一つしかないからこそかけがえのないものであり、同様に、心もまたかけがえのないものであり、すべての人がそれを持っています。
自分だけが特別な存在なので人の心の価値を認めなくていいのだという大人が増えれば、子どももそうしていっていまうだろうと思っています。
人と人とが、人に支援する塾、人の心を大事にする塾、オールA塾はそんな塾であり続けたいと思っています。