「自己中心的」な人とは

2021年06月17日(木)

こんにちは。オールA塾です。

 

社会に出てもよく「自己中心的」(ジコチュウ)「自分本位」という言葉で形容される人がいます。

本人たちは自分でそうふるまってるつもりがないことが多いものと思われますが

たとえば自分が嫌な仕事はやらないようにして好きな仕事だけやるようにするとか

それでいて手柄は自分のものとしようとするとか

自分ルールで動いていて社内の人にあわせる気がないとか

こういったことをあげれば枚挙にいとまがありません。

 

では、なぜ彼らがこういった行動をとってしまうのかという話になると「あの人は自分勝手だから」という言葉ですまされてしまっています。

 

私は、自己中心性のコアとなる部分は、本人の生来の性格ではなく、それまでの環境的な要因が大きいと考えています。自己中心性とは一言で言えば、「自分はこう考えているから他者もそう考えているはず」と考えること

つまり自己と他者の思考が異なるということを認識できない、他者を別人格として切り離して考えることができない思考に起因するものだろうと思います。このような思考の中では世界は自分で構成されているので、他者が人格を持つことはありません。

これを書くと、自己中心的な人をせめているように聞こえますが誰もが生まれたときはこのような世界観をもってうまれます。赤ん坊はすべて自己中心的です。学校などの社会の中で他人と関係性を築く中でこのような世界観はかわっていき、他人に人格があり、攻撃すれば怒るし、そうなれば自分に不利益があることを学んでいくものです。

 

しかし、たとえ学校に通っていたとしても、必ずしもそうした経験をへて、他人に人格があることを学べるわけではありません。そうした経験の有無は、意図してお子様に経験させないと、昨今の教育事情においてはたいていの場合、経験できたとしてもそれが強烈なものとなることはまれです。

 

よく「人生はゲームだ」という人がいます。たしかにRPGなどのゲームは、人生を追体験するものとして貴重なものと私も思っております。

しかし、実社会の他者はNPCではありません。またこの世界にリセットボタンはありません。

実社会は、「自分が操作できる世界」「自分だけが人格として存在できる世界」ではありません。

つまりは、人生を追体験をするゲームは実社会がそうでないからこそ貴重なものであるもといえます。

人を知るということは自分が傷つきながら学んでいくしかないことであり、気に入らないからリセットをおせるものではありません。

 

ほとんどすべての子どもたちが悩みを抱え、傷つきながら必死の思いで彼らの社会で生きています。

そしてその経験は、彼らがいきていく際に財産となっていきます。

われわれ子どもの支援者の仕事とは子どものそうした生き抜くための戦いを応援してあげることであり

すこしでも彼らの悩みに共感し、支えてあげることであろうと思っています。

 

当塾では、単に勉強を教えるだけでなく、そうした「他者とのかかわりあい」「他者への優しさ=他者理解」ができるような環境を意識して運営しております。

 

 

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